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「いったいどこからが西部か」

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イギリス人によるアメリカ史の本を読んでいると、2007年に訪れたアメリカ西部のゴーストタウン「ボディー」に関する記述がありました。懐かしい画像とともに改めてご紹介します。

「いったいどこからが西部か」

これは何百年間も、外国人をはじめ移住者や東部の住民を当惑させてきた問題である。 おおかた、答えはひとつの象徴によってなされてきた。

地平線上にたった1本の道に沿った町が見えるという、映画によってすっかり類型化した、例の荒涼たる風景である。第二次世界大戦当時でさえ、アリゾナーネヴァダ間やシェラネヴァダ山脈西方の丘陵地帯では、100マイルごとにまぎれもない西部の町に行き当たったものである。

鉄砲火薬店、紅をどぎつく塗りたてた居酒屋、空き屋になった合衆国郵便局、新聞社の廃屋といった、通りに面した正面だけ外観をとりつくろった木造建築の短い家並が、大空のもと、行きどまりの舗装されていない道のはずれに、ぽつんと立ちつくしていた。

今日では、かつてのゴーストタウンは、観光客目当てのけばけばしい酒場の看板や、各種のゲームを備えた賭博場によって、ひどく滑稽に改造されてしまった。また、こぎれいな郊外住宅地の、とどまるところを知らない発展の波に飲み込まれてしまったものもあるし、跡かたなく消滅してしまったものもある。

ただカリフォルニアの南部に、州政府が「開発」の波と破壊から守っている町がひとつある。 海抜8000フィート、シェラネバダ山中のボーディーである。保護政策のおかげで、一世紀前の西部そのままの遺跡が現在まで残っているのだ

道路に面した正面だけに、見かけ倒しの化粧を施した木造の建物は、風にさらされて銅褐色を呈している。
だだっ広い砂利道は、時にはセメントで舗装したようにかちこちになることもあれば、山間部の豪雨で流出した泥水で泥濘と化すこともある。そして道路面より上に設けられた板張りの歩道の上には、風雪に耐えてきた建物が、今にも倒れてきそうに傾いている。山中の昔の採掘坑や、粉砕場周辺の立木を切りはらった坑外には、さく岩機、つるはし、馬車の車輪といったものが、錆びたままころがっている。物置きを覗いてみると瀬戸物、硬貨、結婚許可証、カンテラ、揺り椅子、ストーブなど、ここで営まれた100年前の生活を物語る、こわれかかった遺物が見受けられる。


ボディー(Bodie)は、もともと1859年に金を発見した1859W.Sボディー(Body)の名前が、綴り間違いのまま町名となってしまったのだが、1876年にはさらに大鉱脈が掘り当てられた。それからの四年間というもの、この地は生と死でごったがえした。

殺人が一日一件、酒場と賭博場56軒そして血の気と病と悪徳が渦巻いていた12000人の人間とで、町ははちきれんばかりだった。
しかし1883年には、町はほとんどさびれてしまい。1932年、火災がそれに追い打ちをかけた。今日では、まるで大空をうねる積雲の 中に沈んでいる墓地さながらである。


古代都市の遺跡トロイの野と同じように、世間から忘れ去られ、見放されてしまった。
しかし、私たちが西部といえばまず思い浮かべるのはこういう町であり、その意味でこうした情景は私たちの記憶から消える事はない。

なぜなら西部とは、ロッキー山脈の東側斜面にははじまって太平洋に至る一帯の、ある特定の景観を指すからである。
 同時に、西部は心の中の理想郷でもあり、人が行きつくことなく遠く隔たっている黄金の国、エルドラドへの夢をかき立て続けてくれる。 西部とは、すべてを投げうって再出発する土地であり、有名な歌の文句そのままに「でっかい大空」のもとでむかえる、いっそうしあわせな新生活、
「約束の土地への旅立ち」でもあるのだ。


「アメリカ この巨大さの物語」日本放送出版協会

アリステアクック著 鈴木健次氏・桜井元雄氏 訳 




 

    


 

  
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