HC Two-tone Leather Motorcycle Jacket
Larry meets American Lover at Sendai.
大雪の週末にラリーさんと仙台に出張してきました。
アメリカンラヴァーさんの別注レザージャケットの販売会です。
ラリーさんの希望で、御客様と直接対話したいとの要望で、
今回の出張が実現しました。
雪にもかかわらず、アメリカンラヴァーの顧客様の多くにご来店いただき、
店内は熱気に包まれていました。急遽クラッチマガジンの取材もご同行、
御客様にとっては貴重な御時間を提供できたと思います。
松島さん、宮崎さん、ありがとうございました。
水戸さん、アメリカンラヴァーの御客様、本当にありがとうございます。
ラリーさんとはこれからも様々な地域に行って、お店で御客様にお会いしたいと思っています。
ヘラーズカフェを今後ともよろしくお願いします。
COPPERKING 第1章 「Founder」 1920’s
ウエアハウスとして初の実名復刻となるカッパーキングは、
1920年代から1970年代まで実在したカウボーイのために作られたワークウェアブランド。
謎の多いそのブランドの歴史を検証しながら、
ウエアハウスがヴィンテージを越える技術を駆使してデニムを展開します。
ここでは5回に分けて、1920年代~1970年代に至るまでの
「COPPERKING」を検証していきます。
第1章 「Founder」 1920’s
鶏のキャラクターで有名な「CAN'T BUST'EM」と同一にみられている「COPPERKING」。
その発祥は「CAN'T BUST'EM」ブランドを所有していた「エロッサー・ハイマン社」ではなく、
ブルドッグのキャラクターでおなじみの「BOSS OF THE ROAD」が所有していました。
1920年代に、最初のドローイングの登録があります。
Neustader Brothers
1905年2月20日 から 商品として存在
1927年1月15日から商標として使用
1927年4月12日 申請
1929年1月8日 登録 251527
Eloesser-Hynemann company
1946年から使用
1949年1月8日 更新
1949年5月10日 再発行
Neustader Brothers は、カリフォルニアの法の下に設立した会社です。カリ
フォルニアのサンフランシスコにあり、サンフランシスコ1番通り62でビジネス
をしています。
クラス39(生地)のオーバーオールに、添付の図に示される商標を1905年2月20
日に採用、実際に使用していると、米国特許庁で登録申請のために5つの見本を
これと共に提出します。「Copper King」のワードと中心に青、アウトラインに
赤のものを途切れることなく使っていた。1927年1月15日から申請人のいう商品
に適用されている。図画は、センターパネルの線が青とボーダー、またはアウト
ラインの線が赤です。
それに、いかなる方法でも直接付けられることによって商品に付く印刷されたラ
ベルで、商標は示されます。
申請人は米国特許庁に商標番号119354,1917年11月13の登録者でもあります。
署名者をここに任命します、Townsend、Lftus と Abbett 。
Townsend、Lftus と Abbettによって構成されられる会社。
と、Thos Castberg、全権をもつその弁護士(サンフランシスコで署名される特
許庁ですべてのビジネスを行うために)
1927年4月1日に署名
このように、「ノイシュタッターブラザーズ社」は、そのブランドを譲り渡すことになる
「エロッサー・ハイマン社」にバトンを渡すまでに、カッパーキングを運営していました。
世界恐慌の影響もあったのでしょう。製作期間はわずかのため、
実際にこのドローイングを使用したウエアを観たのは一度きりですが、
それはボスオブザロードのブルドックの織ネームの下部にCOPPERKING
と書かれたもの、そしてブルーのボーダーライン、赤で縁取られたアウトラインの
上記デザインの布パッチが付いていたのです。
ノイシュタッターブラザーズの主力ブランドは「ボスオブザロード」。
新しいレーベルを立ち上げて新たなマーケットに開拓を目論んだ同社。
消費者に信頼を得ていた「ブルドッグ」のキャラクターを使い、ダブルネームとして
デビューさせることで、商品価値の所在を明確にしようとしたのだと考えられます。
しかしながら、不運にも世界恐慌の余波はノイシュタッターブラザーズを襲い、
同社は1930年代には消滅、パンツの型紙などは、「ベンデイビス」が買い取ったという話も残っています。
次回は1930年代のカッパーキングをご紹介します。
Copperking 第2章「犬から鶏へ」1930’s
上がノイシュタッターブラザーズのキャラクター
BOSS OF THE ROADのブルドッグ
ペーパーマルシェ(西洋の張り子)です。
そしてこちらが、エロッサーハイマン社のCAN'T BUST'EMブランドのキャラクター
鶏です。
1930年代にノイシュタッターブラザーズは、
エロッサーハイマン社に、その所有するブランドと、在庫を売却しました。
それにより、新ブランドとしてスタートしたばかりのCOPPERKINGも
BOSS OF THE ROADとともに、CAN'T BUST'EMと同じ会社のものとなったのです。
既にBOSS OF THE ROADとして卸先を確立していたため、
同ブランドは買収後も存続、しかし、ノイシュタッターの所有していた、STANDARD SHIRTS
ブランドや、COPERKINGは、買収後すぐにブランドとしてアイテムを製作した形跡はありません。
ハイマン社は、フリスコジーンズ、そしてCAN'T BUST'EMを筆頭ブランドとして、
差別化する形でBOSS OF THE ROADブランドを展開していたのでしょう。
そして1930年代を経て、第二次世界大戦のはじまる1940年代、
COPPERKINGは再び復活を遂げます。
COPPERKINGの復活は、
キャントバステムブランドの一つのレーベルとしてですが、
戦後最も需要の始まる5ポケットジーンズとしてでした。
ターゲットはアメリカ人のフロンティアスピリッツの象徴「COWBOY」です。
それはまさに、リーバイス501XX、Lee101カウボーイに対抗して作られたものなのです。
次回は1940年代へ続きます。
Copperking 第3章「大戦を経て生まれたアイコン」1940’s
Copperking 第3章「大戦を経て生まれたアイコン」1940’s
世界恐慌の煽りを受けて、COPPERKINGは、FOUNDERであるノイシュタッターブラザーズから、
キャントバステムで有名なエロッサーハイマン社に所有されることになりました。
どちらも、あのリーバイスと同じサンフランシスコのメーカーであったために、ノイシュタッターブラザーズの
主力ブランド、BOSS OF THE ROADは継続して展開されたものの、COPPERKINGの1930年代の顕著な動きは記録されていません。
ジーンズが第二次世界大戦の影響で、バックルバック(尾錠)やサスペンダーボタンなどが省略され、
現代の5ポケットデニムへと簡素化されたのは有名ですが、COPPERKINGも、まさにその時代に、
復活を遂げています。いや、「本格始動した。」と言ったほうが適切でしょう。
画像のように、かざりステッチは入らず、コインポケットにもリベットはありません。
デニムは左綾、ヨークの巻きも上巻の左巻です。
バックポケットのカンドメも、まだ一本なのがわかります。
ネームもうっすらと、CAN'T BUST'EM と COPPERKINGの文字が見られます。
この時代には、エロッサーハイマン社は、COPPERKINGを、BOSS OF THE ROADではなく、
CAN'T BUST'EM の傘下のカウボーイに向けたレーベルとして、位置付けをしたのです。
CAN'T BUST'EMのワークウェアレーベル
★FRISKO JEENS→ Eloesser-Heynemann Coが1925年から所有していたワークパンツのレーベル
★JUMPERALLS→LeeのUNIONALLに向けたオールインワンのレーベル
★BLUE BIB OVERALLS→デニムのビブオーバーオール、農夫に向けたもの。
★LOGGERS PANTS→ロガーに向けて作られるダックやデニムのワークパンツ。
★PAINTERS OVERALLS→ペインターに向けたオーバーオール。
★CARPENTERS OVERALLS→大工に向けて作られたオーバーオール
★COPPERKING→カウボーイや街着として、リーバイス501やLee のカウボーイパンツにあてたもの。
1940年4月の新聞広告では「Waist length overalls」 と呼ばれていることから、5ポケットをこう呼んでいたと推測できます。
以下は1939年2月17日のワシントン州でシアトルに次ぐ大きな待
スポケーンの新聞に出た広告です。
カッパーキングは、「Copper king Champion waist overall」とあります。
30年代の終わりに、カッパーキングはもう再始動していたのです。
そして、1940年代の後半、第二次世界大戦後に製造されたと思われるものがこちらです。
デニムは左綾、トップボタン、小ボタンはCAN'T BUST'EMのものが使われており、
ポケットの流し込みタグはついていないものの、バックポケットのカンドメは二本になり、
さらに「X」のステッチが直線で入っています。
印字には99という文字が・・・
CAN'T BUST'EMはご存知のとおり、「77」や「88」の品番でワークパンツを製造していたので、
呼びやすいゾロ目の番号として、「99」とナンバリングしたのでしょう。
いいですね、「99」。
こうして、Copper king Champion waist overall ”99”は、さらに独自のマーケットを
開拓することになります。 次回は第4章 「錆びるリベットはもう・・・」です。
Copperking 第4章「錆びるリベットはもう古い」1950’s
Copperking 第4章「錆びるリベットはもう古い」1950’s
第二次世界大戦を経て、Copperkingはいよいよそのオリジナリティを発揮します。
バックポケットのかざりステッチに「X」のアイコンが入り、
「X」のステッチがアールを描いているのが特徴です。
右ポケットには流し込みのタグが入るようになります。
さらに、前回(第3章)で触れましたLOT99の印字もみられます。
キャントバステムのLOGGERは「77」はジッパーフライ、
「88」がボタンフロントですが、こちらはジッパーフライには、「Z」の文字が入るようです。
正式には戦後から1940年代の終わりにかけてこの意匠は生まれたようです。
また部材については、隠しリベットを使用するのではなく、大戦モデルでもあったように、
カンドメを二回走らせる仕様となっています。さらに、股リベットはそのまま残しており、
「錆びるリベットはもう古い。」と言わんばかりに、それまでの鉄製銅メッキから、
「Copperking」の名前にふさわしい、銅製に変わっています。
XXの隠しリベットは、突起が高いために、そこから生地が摩耗し、
リベットがむきだしてしまうものもありましたが、LeeのXカンや、COPPERKINGの
二重カンは、ほつれすらみられません。
さらには、Leeと同じように、デニムに早くから防縮加工を施しており、
この時代に既にジッパーフライのデニムに着手していました。
そして、1950年代に入ると、「Copperking」は、Levis501XXやLee101と同じマーケットで、
5ポケットデニムの一角を担うようになりました、カウボーイに向けた販売戦略が、
カウボーイに憧れるワーカーやファーマーにもイメージの良い効果をもたらしたのでしょう。
ブランドネームは完全に独立し、「Copperking」単体のデザインがメインとなりました。
そして1960年代、ジーンズがヨーロッパにわたり、
ホワイトデニムやスリムシルエットの影響を受けてアメリカに戻った。
copperkingにもその時代、変化が見られるようになります。
次回は最終章、「スリムカウボーイ」です。
Copperking 最終章「スリムカウボーイ」1960’s
Copperking 最終章「スリムカウボーイ」1960’s
1960年代にはCopperkingはCan't buste'mから独立し、ワークウェアというよりも、
カウボーイに向けたデイリーウェアを打ち出すようになります。
また、1960年代はアメリカの東部の学生にもジーンズがファッションアイテムとして認知され、
ジッパーフライや防縮加工のデニムはフィッティングに大きな効果をもたらし、Lee、Copperkingは
スリムフィットのシルエットにおいて客層を広げる事に成功しました。
こちらは1960年代に作られた裾にかけてテーパーにかけられたもの。
アウトシームの脇割りは両耳使いですが、この時代、広い幅のデニム織機を使われることが多かったため、生地の取り都合を考えて、片耳を使う場合も多く出てきます。
こちらが1960年代の片耳仕様のもの。
シルエットはほぼ変わらず、股リベットもまだ付けられています。
ポケットがやや小ぶりになっている点も、60年代の特徴です。
そして、1970年代、Copperkingは多くのアイテムを生産していますが、
この時代にはじめて、BY Can't buste'm の表記がとれ、よりカジュアルなアイテムを製造しています。
こちらが最終型ともいうべき、耳なしのバージョン。トップボタンが銅製に変わり、
紙ラベルのデザインも変わります。
日本では同じ1970年代に、大野衣料が「Copperking」の商標を登録し、
現在に至るまでその商標を大切に維持しています。
1940年代から実在した、Levi'sやLeeの501.101と同じ歴史のある5ポケットジーンズを、
そのかざりステッチや意匠もそのままに完全復刻します。
ウエアハウスが100%自社生産ではじめて手掛ける実名復刻シリーズ。
最新の1001xxと同じ、アメリカ産コットンを使ったデニムに防縮加工をかけて・・・
その全貌は弊社ホームページで公開します。
ぜひお楽しみにお待ちください。
COCA-COLA×HUMANMADE×BEAMSのアイテムが いよいよ発売開始です!
毎年恒例、「デニムの教科書」
毎年恒例になった、「デニムの教科書」ともいえる、ライトニング別冊、
「THE DENIM BIBLE」に掲載いただきました。
COPPERKING
をご紹介しております。
また現在、「古着ナビ 」さんでも「COPPERKING」の特集をいただいております。
ぜひどちらもご覧ください。
裾の細いデニム
THE TOOLS Vol1 [Brand name]
2013年に始動することが決まった「THE TOOLS 」は、日本におけるフライトジャケットのパイオニア、
岡本博氏と、塩谷兄弟の共作で贈るプライベートブランドです。
THE TOOLS とは・・・
日本におけるフライトジャケットのパイオニア、
岡本博と塩谷兄弟が1年に1アイテムしか作らない至極の共同ブランド。
互いの生産背景と、類まれなる両者の着眼点から作り上げるブランドです。
TOOLSは男性的な工具で、それを使いこなす男を指しています。
ネームに描かれているアイコンは、特殊なスパナで、Sの字に曲がっています。
これは実在する工具で、直線のスパナでは届かないような箇所を整備する際に使用します。
たとえばエンジンの大切な部分を絞める時に突起物やフィンを避ける場合など・・・
目が届かないようなディテールにまで着眼し、特殊な工具で自由に手掛ける男達。
岡本博と塩谷兄弟が積み上げてきた経験と知識の融合が、
ヴィンテージという本物を越えるTOOLSを生み出すのです。
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THE TOOLS Vol2 [Only once a year.]
THE TOOLS Vol3 [USARMY AIRCORP or US NAVY A-1]
THE TOOLS Vol3 [USARMY AIRCORP or US NAVY A-1]
US ARMY AIR CORP Type A-1
フライトジャケットのバイブルと呼べる「飛行服発達史」(ワールドフォトプレス)や、
「AMERICAN FLIGHT JACKETS」にも掲載されているA-1の実像は、
これまで現存しているものが市場に出る事はありませんでした。
ウエアハウスが所有するA-1は「AMERICAN FLIGHT JACKETS」に掲載されている実物そのものであ
り(著者のJOHN CONWAY氏の認定サイン付き)、岡本博と塩谷兄弟は、
このA-1をTHE TOOLSのファーストモデルとして相応しいアイテムだとして合意したのです。
「飛行服発達史」では、同デザイン、同型のA-1が、着用画像とともに絵型で掲載されています。
ここでは、そのデザインが「US NAVY A-1」という表記があるため、
皮革のカラーがグリーンのものであったと推測されます。
それは世界的なミリタリーコレクターであり、ディーラーのBOB CHATT氏から教授されたもので、
BOB氏は「US NAVY のA-1は皮革がグリーン、ARMY AIR CORPのA-1は皮革がブラウン」
とも公言しています。デザインに関しては、1927年から1930年代にかけては、
まだはっきりとしたスペックが定められていなかったといわれています。
このため、各社が供給したA-1ジャケットには、ポケットの位置や、
ボタンの配置、皮革などにバリエーションがみられるのです。
こういった経緯をまとめると、この度THE TOOLSが製造するA-1ジャケットは、
US NAVY、ARMYの両パートにおいて着用されていたデザインということになります。
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現行品の1001XXのモデルチェンジが決定しました。
THE TOOLS Vol3 [A-1公開]
THE TOOLS Vol3 [A-1公開]
皮革
~1920年代のケープレザーを再現~
アフリカのケープタウンという、地中海気候の温暖な地
域に居た原種に近いシープ(羊)の皮を、ケープスキンと呼んでいます。
1920年代当時は原種に近く、食肉用や搾乳用に育てるなど、羊毛を取る目的ではない革質の丈夫なヘアシープが多く生息していました。
副産物として残った皮には粗いシボのある部分も多く、結果的にしなやかさと荒々しさが共存するシープスキンとして使用されました。
しかしケープスキンは、現代ではウールシープ(羊毛を取るために飼育される、比較的寒い地域に生息する羊)とヘアシープを交配させ、羊毛も採れて食肉にもなるように品種改良したものしか存在しません。このため、ファッション市場で言うケープレザーは、紳士、婦人物のブルゾンなどに使う表面を綺麗に加工したものになっています。
そこで、岡本博はA-1を精査し、当時のケープスキンに最も近い原皮を皮革工場から取り寄せました。当時の鞣しのスペックに基づいた工程をベースに、経験が生み出すアレンジを加え試験工程を繰り返しました。
少しの工程の違いにより、風合いが変わるため、適度な表面の凹凸の表現がうまくいかず、リブ(個体の血管や骨による皺)が出過ぎたりすることがあったものの、数度の試験工程を経て当時のスペックに忠実に、染色の工程までたどり着きました。
THE TOOLS が使用したケープスキンについて
当時の仕様書や文献ではA-1に使用するマテリアルはケープスキン(シープスキン)を採用しているとあります。今回のプロジェクトに採用したケープスキンは、当
時のケープスキンで作られたA-1に現時点で最も近い、非常に再現度の高いものです。
この革は、若干ヘアシープの血が混じったウールシープで、一般市場に流通し
ている均一的な銀面のクロスブレッドとは異なり、革の表情にリブや皺など、
野性味を残しているのが特徴です。
この特徴をより際立たせるため
鞣しはベジタブル
クロームのコンビネーションで、
仕上げはクラシカルなテイストを出すよう水性顔料(セミアニリン)を採用しました。
*皮革の色は、最も褪色していないオリジナルA-1のフロントポケット内側から彩りました。
ヘアシープとウールシープについて
ヘアシープ
毛用種として改良されず、肉用、または乳用として存続している直毛の羊。
赤道15度の範囲の熱帯地方に生息する。
ウールシープよりも、皮がしなやかで丈夫である。ケープレザーはアフリカのケープタウンにちなんで名付けられたヘアシープで、
歴史のある呼称でヘアシープのケープレザーは現在、ほぼ存在しない。
ウールシープ
ウールをとるために飼育されている巻き毛種の羊で、ヘアシープに対し、
全体を長い毛でおおわれるウールシープは南北緯度45度~60度という比較的気温の低い地域で飼
飼育されている毛皮種である。栄養が皮に廻るヘアシープとは逆で、主に毛のほうに廻る。
Bming 別注ダブルワークスパックT
Bming 別注ダブルワークスパックTをご紹介します。
各店でぜひお試し下さい。
細身シルエットのデニムもよろしくお願いします!
パックT (USA Cotton /Made in Japan)
「アメリカのパックT」をテーマに、デイリーウエア用に作られた、
「吸水性」、「肌触りの良さ」を併せ持つ、テネシーコットンの生地。
「アメリカのパックT」をテーマに、デイリーウエア用に作られた、
「吸水性」、「肌触りの良さ」を併せ持つ、テネシーコットンの生地。
原料の綿花は、テネシー州ミシシッピー川の流域で収穫された綿花です。アメリカ南部のコットンベルト地帯においても、その土壌が非常に肥えていたため、古くから良質の綿花が収穫され、アメリカ国内紡績の主原料として使用されてきました。
アメリカのヴィンテージ衣料の多くは、「コットンキング」と呼ばれるこの地域の原産のものが多いと推測できます。
今回の製品の糸はそのテネシー綿だけを使用(単一綿)しているので、古き良き時代のアメリカンカジュアルの風合いが生まれています。(杢糸は異質の同番手です。)
精紡については、通常のリング糸と構造が異なり、糸の回りに繊維がルーズに巻きついた構造で行われるため、「かさ」が高く、ゴツゴツした風合いを醸し出しています。
また繊維間の感覚が多く、この隙間に水分が浸透、拡散してすばやく蒸発するため、
さらさらとした気持ちの良い、インナーに適した素材となります。
糸は撚りトルクが低い為、無撚糸に近く、製品としては斜行による捻れが少なくなり、
頻繁な洗濯でも型崩れが少ないことも特徴です。
編み機はアメリカではなく、日本サイズの小寸で編むことで、極端に身幅の広いものではなく、且つ脇に縫い目がない丸胴になっています。
編み、縫製は国産で1枚1枚丁寧に生産しています。
首周りのリブ(フライス)部分はビーミング様仕様として、やや浅めに縫合することにより、オールドスタイルから少しだけ昇華させています。
COPPERKIMNGのデニムジャケット
COPPERKINGのデニムジャケット
が入荷しました。
1950年代に製造されたタイプを忠実に、着丈や身幅のバランスはアレンジしつつも
ディテールや縫製仕様は再現しています。
特徴的なディテールはLeeのRIDERSとLevisのセカンドを足したようなスタイルでありながら、
斜めに尖るポケットフラップデザインや、背中のT字の割れるセパレート仕様など、カウボーイが好みそうな
洗練された雰囲気があります。さらに、テーラージャケットのようにトップボタンがフラワーホールになってるのも、作り手のメッセージ。ネクタイやボウタイ、スカーフやバンダナでVゾーンを装飾して欲しいとの現れでしょう。
実物の古着と、1992年のHotDogPressで紹介されたCOPPERKINGの記事をご紹介します。
1995年より17年もの間、使用されてきたシルエットは現行品でしか手に入らなくなります。
ウエアハウス定番デニム1001XXのシルエットのモデルチェンジが決定いたしました。 幾多のアップデイトをしてきた生地・部材・縫製に対し、決して変えることのなかったシルエットを更新することにいたしました。1995年より17年もの間、使用されてきたシルエットは現行品でしか手に入らなくなります。
【生地のアップデイト】
1001ファーストモデルでは、50年代のデッドストックのジーンズを解体し、そのデニムを構成する糸を解析すること
で、ヴィンテージジーンズのリプロダクトにおける概念を覆しました。
その後、限界染や、天然藍、天然藍のロープ染色、単一綿(メンフィス)など、独特の風 合いのデニムを生み出してきたのです。そして2012年、その集大成として、現行1001XXの新しいデニムを開発しました。それは、1995年にデッド ストックジーンズを解析した姿勢にならい、1930年代のデニム原反でつくられたバナーを解体、裁断されていない緯(ヨコ)糸を取り出し、ムラ糸の構成を 徹底解析しました。切れていないオリジナルのムラ糸から、コンピュータ制御では作れない自然なムラがあることがわかりました。その結果、テキサス、アリゾ ナ、メンフィス地方のコットンをブレンドして紡績した糸こそ、当時の「不均一なムラ糸」にもっとも再現度が近いものとなったのです。これが、最もウエアハ ウスが理想とする1001のデニムの到達点です。
【縫製と部材のアップデイト】
そのユニークなディテールの細かな部分にまで着眼し、仕様をアップデイトさせてきたものが縫製です。
各年代やヴィンテー ジのディテールはもちろん、時には時代背景やアメリカの地域性にまで着目して縫製仕様はとても書ききれないほどの再現度で更新が繰り返されてきました。部 材やレザーパッチも同じです。新しいヴィンテージジーンズに会うたびに、その魅力的な経年変化から、それらがまだ未使用であった状態を徹底的に追求してき たのです。
【17年目にして初のシルエットのアップデイト】
1995年の発売より、生地、縫製、シルエットの3本の軸を掲げ、アップデイトを繰り返してきた1001XX。
このよう な歴史を持つ生地、縫製の二本の柱に比べ、ファーストパターンから完成の域に達していたために、刷新されていなかったのがシルエットです。 直線的なライ ンがデニムの縮、いわゆる「シュリンクトゥフィット」で生まれる曲線を大切に、受け継がれてきた1001XXのシルエット。長く穿き続けていただいている 皆様から、変わらぬ高い評価をいただいてきました。しかし、定番と呼ばれるジーンズも、その時代にあったフィット感を、オーセンティックの名に恥じないよ うにアップデイトすべきであるとの結論を得ました。そして、この5月に新たな1001へと受け継がれます。